本溪湖炭鉱(ほんけいこたんこう、本溪湖煤礦)は、1905年大倉財閥の投資による日中合弁事業として採掘が開始された満州国炭坑、またポツダム宣言の受諾に伴い閉鎖されたその合弁会社。現在の中国遼寧省本渓に位置し、40-50万トン級の産出量を持っていた。

1942年4月26日14時5分、鉱山内の可燃性ガス石炭粉塵による爆発が起こり、当日働いていた坑夫の34%にあたる1,549人が死亡した。現在に至るまで最も多くの犠牲者を出した炭鉱事故となっている。戦争後、ソ連によって行われた捜査によると、死亡の主原因は爆発自体ではなく、直後に換気装置が閉じられてからの一酸化炭素中毒だった。跡地には中国政府により「肉丘墳」が建てられた。

座標: 北緯41度19分39.7秒 東経123度46分25.1秒