杉村 寛正(すぎむら かんせい、1844年弘化元年10月[1]) - 1916年大正5年)6月21日[1])は、日本の政治家衆議院議員(3期)。

経歴

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石川県出身[1]。漢学を学んだ[1]石川県権参事を経て、金沢で忠告社を組織し、社長となる。

1890年第1回衆議院議員総選挙において石川2区から自由党公認で立候補したが落選[2]。翌1891年補欠選挙で当選した。1892年第2回衆議院議員総選挙には不出馬。同年10月の補欠選挙で再選。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙で落選[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[4]1898年第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1916年に死去した。墓所は金沢市長久寺。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』392頁。
  2. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』3頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』14頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』20頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。