杉 興相(すぎ おきすけ)は、日本戦国時代の武将。通称は次郎左衛門。大内氏配下。父は杉弘相。子に杉隆宣周防国の名族杉氏の一門(次郎左衛門家)であるが、その正確な系譜は不明[1]

 
杉興相
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 次郎左衛門(通称)
主君 大内義興義隆
氏族 杉氏
父母 父:杉弘相
隆宣
テンプレートを表示

生涯 編集

杉弘相の子として生まれ[1]大内義興偏諱によって「興相」と名乗る。

永正4年(1507年)に大内義興の足利義稙を奉じた上洛に従い[1]、永正6年(1509年)に大内義興が石清水八幡宮青毛神馬一疋を寄進した際には馬奉行を務めた[2]。大永2年(1522年)ごろに周防国佐波郡の大前と植松を領した[1]

また、天文5年(1536年)の興隆寺二月会において大頭役を務めた[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『徳山市史』249-250頁
  2. ^ 『石清水文書之六 菊大路家文書』永正6年(1509年10月9日弘中武長神馬進献添状
  3. ^ 『興隆寺文書』

参考文献 編集