杉野 嘉男(すぎの よしお、1904年12月12日 - 1998年6月13日)は、日本の武術家武道家映画振付師でもあった。古武道の一派、天真正伝香取神道流の免許皆伝者。神奈川県川崎市にある「唯心館 杉野道場」の創立者、およびその初代師範。

すぎの よしお

杉野 嘉男
生誕 (1904-12-12) 1904年12月12日
(明治37年12月12日)
千葉県山武郡成東町
死没 1998年6月13日(1998-06-13)(93歳)
千葉県成東町
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学商工部
流派 香取神道流合気道
楊心古流講道館柔道
剣道
活動拠点 唯心館 杉野道場
杉野由太郎、杉野セキ
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経歴 編集

慶應義塾大学卒業。嘉納治五郎植芝盛平にそれぞれ柔道合気道を習う。またその傍ら、椎名市蔵より天眞正傳香取神道流を学び、免許皆伝となる。


1904年12月12日(明治37年)千葉県山武郡成東町に杉野由太郎と杉野セキの長男として生まれる[1]

13歳から柔道を始めたが、本格的にのめり込んだのは大正七年の慶応大学入学後であったとされる。柔道の師は飯塚国三郎であった。17歳の時に蔵前工業大学、東京農業大学、立正大学、東京水産大学の四校連合と慶応大学が試合をしたが、当時一級だった杉野が出場し六人抜きの快挙を成し遂げた。杉野は初段から四段になるまでは一度も負けたことがなかった。

1927年(昭和2年)22歳で講道館柔道修行所を神奈川県川崎市に開設した。24歳から金谷元朗から楊心古流柔術を学び、後に教士号を授かった。

嘉納治五郎の懇願を受けて講道館に香取神道流を教えに来ていた、玉井済道、久保木惣左衛門、伊藤種吉、椎名市蔵から学んだ。

昭和7年に合気道の植芝盛平を紹介され若松町の道場を訪問した。合気道に入門し必死に稽古を続け、昭和10年に指南免許を受けた。

1935年、現在の神奈川県川崎市幸区中幸町に柔道場「唯心館 杉野道場」を開設した。著書に、「天眞正傳 香取神道流教範(共著:伊藤菊枝神田書房・日本出版配給)」などがある。古武道十段。武道家としての顔だけでなく、映画振付師としての顔も持っており、1954年には黒澤明から「七人の侍」の指導を依頼された。実際、杉野は複数の映画において剣術の指導を行なっている[2][3]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 松崎司「追悼企画 天真正伝香取神道流兵法師範 杉野嘉男を偲ぶ」、『月刊秘伝』1998年9月号,p44,BABジャパン.
  2. ^ 杉野 嘉男 Yoshio Sugino - 唯心館 杉野道場
  3. ^ 杉野 嘉男 Sugino Yoshio - 香取神道流 - 達人・名人・秘伝の師範たち


参考文献 編集

  • 松崎司「追悼企画 天真正伝香取神道流兵法師範 杉野嘉男を偲ぶ」、『月刊秘伝』1998年9月号,p44,BABジャパン.

外部リンク 編集