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李元名(り げんめい、生年不詳 - 689年)は、中国の高祖李淵の十八男。母は小楊嬪。

経歴編集

元名が10歳のとき、高祖が大安宮に幽閉されていて、太宗は朝夕に尚宮を遣わして起居を問わせ、食事を送っていた。元名の保傅が「尚宮は官品秩禄が高く、拝礼されるべきです」と元名に言った。元名は「これはわが次兄(太宗)の家の婢ではないか。どうして拝礼することがあるか」と言った。太宗はこれを聞いて元気がよいのに喜び、「真にわが弟なり」と言った。

631年、譙王に封ぜられた。637年、舒王に改封され、実封800戸を受けた。寿州刺史に任ぜられた。のちに滑州許州鄭州の刺史を歴任した。649年、実封は千戸まで加増され、石州刺史に転じた。

元名は性格が高潔で誇り高く、財産管理はおろそかで、家人の生業を問うことはめったになかった。子の豫章王李亶は、江州刺史として治績があり、高宗は元名の教育の優れているのを賞賛して、褒美を与えた。また元名に大州の統治を任せようとしたが、元名は固辞した。石州を統治すること20年、幾度か山林に遊び、俗世を離れた境地にあった。垂拱年間、鄭州刺史に転じた。諸王や勲戚で官にある者が百姓の財産を侵奪しているところを、元名がこぞって免職にして、弊風を改めた。滑州刺史に転じたが、元名のやり方は鄭州のときと同じだった。まもなく司空の位を加えられた。

689年、子の李亶が丘神勣に陥れられて獄死すると、元名は利州に流された後、まもなく殺された。神龍初年、司徒の位を追贈されて、官爵を復され、諸侯の礼で改葬された。ときに末子の鄅国公李昭がすでに亡くなっていたので、李亶の子の李津が後を継ぎ、開元年間に左威衛将軍となった。

伝記資料編集

  • 旧唐書』巻64 列伝第14「舒王元名伝」
  • 新唐書』巻79 列伝第4「舒王元名伝」