李成浩 (政治家)
李 成浩(リ・ソンホ、朝鮮語: 리성호、1963年6月21日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。商業相、国家体育指導委員会委員などを歴任した。朝鮮人民軍総参謀長、人民武力部長などを歴任した金永春の婿[1]。
李成浩 리성호 | |
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生年月日 | 1963年6月12日(61歳) |
出生地 | 朝鮮民主主義人民共和国両江道 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
親族 | 金永春 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年3月8日 - 2014年3月8日 |
最高指導者 |
金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
在任期間 | 2012年11月 - 不明 |
在任期間 | 2012年4月13日 - 2014年4月9日 |
内閣総理 |
崔永林(2010年 - 2013年) 朴奉珠(2013年 - 2019年) |
李成浩 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 리성호 |
発音: | リ・ソンホ |
経歴
編集1963年に両江道で生まれた。2009年3月8日に実施された最高人民会議第12期代議員で代議員に選出され[2]、2010年3月に商業省局長に任命された[1]。商業副相を経て[1]、2012年4月13日に開催された最高人民会議第12期第7回会議で、同年2月にヘリコプター事故に巻き込まれ死亡した金奉哲の後任として商業相に任命され[1][3]、内閣の構成員で最年少となった[4]。2012年11月4日に党中央委員会政治局拡大会議の決定により、国家体育指導委員会が設立されると同委員会委員に任命された[5]。
2014年3月9日に実施された最高人民会議第13期代議員選挙で代議員に選出されず、商業相を解任された[1]。粛清の理由として、2013年3月に金正恩第一書記が朝鮮人民軍第4軍団の部隊を視察した際に、軍の病室や住宅を建て直しすように指示した所、不満を示したためという[1]。金永春の婿ということで銃殺刑は免れたという[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g 北상업상 리성호, 김정은 지시에 불만 표출해 숙청 朝鮮日報 2014年4月18日
- ^ 북, 12기 최고인민회의 대의원 687명 발표(명단) 統一ニュース 2009年3月9日
- ^ 北商業相「金奉哲→イ.ソンホ」へ交代 デイリーNK 2012年5月18日
- ^ 김정은체제, 60대에 '김.평.남' 統一ニュース 2012年7月17日
- ^ 北 ‘국가체육지도위원회’ 신설, 위원장에 장성택 統一ニュース 2012年11月5日
参考サイト
編集 朝鮮民主主義人民共和国
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