村井凌雲
村井 凌雲(むらい りょううん、1927年〈昭和2年〉6月20日 - 2024年〈令和6年〉4月26日)は、秋田県秋田市に本部を置く千家生花(せんけせいか)の第十四世家元。秋田県華道連盟の創設メンバーの一人。
むらい りょううん 村井 凌雲 | |
生年月日 | 1927年6月20日 |
---|---|
没年月日 | 2024年4月26日(96歳没) |
本名 | 村井 喜三郎(むらい きさぶろう) |
出生地 | 秋田県秋田市 |
職業 | 千家生花 第十四世家元、秋田県いけばな作家協会代表委員、秋田市文化団体連盟会長 |
配偶者 | 村井 節(2014年死別) |
公式サイト | |
秋田県華道連盟 - 千家生花
http://www.akitaken-kadourenmei.com/ryuuha/sennkaikebana/index.htm | |
受賞歴 | |
1982年秋田県芸術選奨、1990年秋田市文化章、2001年秋田県文化功労者、2010年文化庁地域文化功労者 | |
略歴
編集本名 村井 喜三郎(むらい きさぶろう)。村井家の三男に生まれる。戦時中は神奈川県の相模陸軍造兵廠に徴用された。戦後は秋田県に戻り、電気屋などを営みつつ、1946年に千家生花の重鎮 河村眺橋(第十二世 内田三橋氏の高弟)に師事。48年に千家生花師範免許、豊橋の雅号を受ける。
千家生花
編集千家生花は、千利休を開祖とし、江戸時代中期の天明6年(1786年)に京都の雅人・岡田松亭によって創始され、秋田藩に伝えられた。当初は松亭流や千家流とも呼ばれていたが、明治時代に家元を継承した下山田酔月師の時代に、一門の協議により「千家生花」と正式に称されるようになった。以降、代々家元が継承し、1965年に村井氏がその伝統を受け継いだ。
受賞
編集1982年秋田県芸術選奨、1990年秋田市文化章、2001年秋田県文化功労者、2010年文化庁地域文化功労者
著書
編集千家生花十四世家元 凌雲斎豊橋 村井凌雲作品集『花暦』