村井 親長 (むらい ちかなが、承応元年(1652年) - 宝永8年4月4日1711年5月21日)) は、加賀藩年寄。加賀八家村井家第5代当主。

父は加賀藩年寄村井長朝。養子は村井長堅通称は藤十郎、出雲。官位は従五位下・豊後守。本姓は平氏(桓武平氏)。家紋は「丸ノ内上羽蝶」。

生涯編集

承応元年(1652年)、村井長朝の子として生まれる。明暦2年(1656年)、父の死去により4歳で家督相続する。

寛文11年(1671年)、父の遺領を全て相続することを許され、知行1万6500石となる。貞享4年(1687年)、東山天皇即位式の祝賀使を務めた。元禄2年(1689年)、人持組頭となる。藩主前田綱紀により、七手頭(本多家、長家、前田土佐守家、前田対馬守家、奥村宗家、奥村分家)に村井家を加えられ八家(加賀八家)となる。八家は、年寄を輩出する藩内最高の家格と定められた。元禄14年(1701年)7月、金沢城代となる。宝永5年(1708年)、従五位下・豊後守に叙任される。

宝永8年(1711年)没、享年60。家督は養子の長堅が相続した。

参考文献編集