松平光徳
松平 光徳(まつだいら みつやす)は、信濃松本藩の第3代藩主。戸田松平家8代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文2年1月2日(1737年2月1日) |
死没 | 宝暦9年1月6日(1759年2月3日) |
改名 | 豊松(幼名)→光徳 |
戒名 | 壷春院洞外義仙 |
墓所 | 岐阜県本巣市郡府の智勝院 |
官位 | 従五位下、近江守、丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃松本藩主 |
氏族 | 戸田松平家 |
父母 | 父:松平光雄、母:石縛氏 |
兄弟 | 光徳、光和、一柳直住、光悌 |
妻 | 正室:倶姫(阿部正允の娘) |
子 | 養子:光和 |
生涯
編集元文2年(1737年)1月2日、第2代藩主・松平光雄の長男として信濃松本で生まれる。寛延2年(1749年)12月、従五位下・近江守に叙位・任官する。寛延4年(1751年)5月に元服する。
宝暦6年(1756年)、父の死去により家督を継ぎ、11月23日に丹波守に遷任する。宝暦9年(1759年)1月6日、江戸呉服橋邸で死去した。享年23。跡を弟で養子の光和が継いだ。
系譜
編集父母
- 松平光雄(父)
- 石縛氏 ー 側室(母)
正室
- 倶姫 ー 阿部正允の娘
養子
- 松平光和 ー 実弟