松平正升
松平 正升(まつだいら まさのり)は、江戸時代中期から後期の大名。上総大多喜藩の第4代藩主。大河内松平宗家6代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 寛保2年10月25日(1742年11月21日)? |
死没 | 享和3年11月30日(1804年1月12日) |
改名 | 元吉(幼名)→正升 |
官位 | 従五位下、織部正、備前守、弾正忠 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総大多喜藩主 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平正温 |
兄弟 | 正升、本庄道信、資承、信譲、正恒 |
妻 | 本庄資訓の養女(松平資順の娘) |
子 |
正路、娘(永井直旧正室)、 娘(井上正定継々室) |
生涯
編集寛保2年(1742年)10月25日、第3代藩主松平正温の長男として生まれる。『寛政重修諸家譜』は元文5年(1740年)生まれとしている。宝暦7年(1757年)12月18日、従五位下・織部正に叙任する。明和4年(1767年)9月25日、父の隠居により家督を継ぐ。この日、備前守に改めた。
大坂加番も務めた。享和3年(1803年)5月23日、病気を理由に長男の正路に家督を譲って隠居し、同年11月晦日に死去した。
系譜
編集父母
- 松平正温(父)
正室
子女