松平直方 (前橋藩主)
明治期の大名、華族。前橋藩知事(最後)。
松平 直方(まつだいら なおかた)は、上野国前橋藩第2代(最後)の藩知事。結城松平家12代。
松平直方 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 安政5年8月28日(1858年10月4日) |
死没 | 明治40年(1907年)4月7日 |
改名 | 栄之助(幼名)、前田利篤(初名)、松平直方 |
戒名 | 大心院殿寂照真夢大居士 |
墓所 | 東京都台東区谷中の天王寺 |
藩 | 上野前橋藩知藩事 |
氏族 | 前田氏→結城松平家 |
父母 |
前田利聲 松平直克 |
兄弟 |
直方、前田利功、林元邦、内藤信利、 林照房、前田正庸、三井高棟室、 岩倉具明室、尚子、伴田某室ら |
妻 | 伊達宗孝三女・隼子 |
子 |
秀子、晴之介、万利乃光、妙子、川村四郎 基則 |
生涯
編集安政5年(1858年)8月28日、越中国富山藩12代藩主・前田利聲の次男として誕生した。明治2年(1869年)8月13日、先代・松平直克の養子となり、8月17日に直克が隠居したため家督を継ぎ、8月25日に正式に前橋藩知事に就任した。しかし不手際があり、明治3年(1870年)11月30日から12月17日まで新政府の命令により謹慎している。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により知藩事職を免官された。明治17年(1884年)に家督を松平典則の三男・基則に譲った。明治40年(1907年)4月に死去。享年50。
栄典
編集系譜
編集系図
編集江戸時代後期以後近代までの結城松平家の継承関係を、実系で示せば以下の通り。
松平斉典8 | 松平典則9 | 松平基則13 | |||||||||||||||||||||||||||||
↓ | |||||||||||||||||||||||||||||||
徳川斉昭 | 松平直侯10 | 松平八重 | |||||||||||||||||||||||||||||
↓ | |||||||||||||||||||||||||||||||
有馬頼徳 | 松平直克11 | 松平直之14 | 松平直冨15 | ||||||||||||||||||||||||||||
↓ | |||||||||||||||||||||||||||||||
前田利聲 | 松平直方12 | ||||||||||||||||||||||||||||||
- 数字は結城松平家の代数を示す。
- 点線は婚姻関係を示す。
脚注
編集- ^ 『官報』第5089号「叙任及辞令」1900年6月21日。