松平頼纉
松平 頼纉(まつだいら よりつぐ)は、江戸時代後期の高松松平家御厄介(一門)、松平大膳家第9代当主。通称は哲松。号は松嶼。 歌人としても知られた。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保12年(1841年) |
死没 | 明治34年(1901年)3月24日 |
改名 | 覚賢→頼纉 |
別名 | 通称:哲松、号:松嶼 |
藩 | 讃岐高松藩 |
氏族 | 松平大膳家 |
父母 | 父:松平頼覚、母:香西氏 |
兄弟 | 頼利、頼纉、久子ら |
子 | 覚義 |
生涯
編集7代・松平頼覚の三男として誕生。母は香西氏。
始め父より偏諱を与えられて覚賢(あきかた)と名乗っていた。元治元年(1864年)6月、父に従い上洛し、7月の禁門の変の際は仙洞御所を守衛する。慶応3年(1867年)に父が、明治2年(1869年)に兄:頼利が、相次いで死去したのに伴って家督を継ぎ、藩の政務総裁となる。家の慣例によって通字の「頼」を襲い頼纉に改名する。明治6年(1873年)、田村神社宮司権少教正。明治15年(1882年)、正七位。明治24年(1891年)、香川県教育会長となる。
明治34年(1901年)3月24日死去。享年61。
系譜
編集参考文献
編集- 梶原竹軒監修『讃岐人名辞書』(高松製版印刷所)