松平 頼覚(まつだいら よりあき)は、江戸時代後期の高松松平家御厄介(一門)、松平大膳家第7代当主。通称は大膳。号は芝岳。

 
松平 頼覚
時代 江戸時代後期
生誕 文化4年4月21日1807年5月28日
死没 慶応3年12月2日1867年12月27日
別名 通称:大膳、号:芝岳
主君 松平頼恕頼胤頼聰
讃岐高松藩
氏族 松平大膳家
父母 父:松平頼格
兄弟 頼覚水野忠格
香西氏
頼利頼纉、久子ら
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略歴

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5代・松平頼格の子として誕生。

天保7年(1836年)、家督を相続した。文久3年(1863年)、藩主・松平頼聰の名代として上京して京都警備の任に就く。元治元年(1864年)6月に上京、7月の禁門の変の際に仙洞御所を守衛する。同年11月、第一次長州征討に出陣する。元治元年(1864年)、藩政相談役となり1000石の加増を受ける。

慶応3年(1867年)没。家督は嫡男・頼利が相続した。娘は藩主頼聰の養女として公家坊城俊章に嫁いでいる。

系譜

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参考文献

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  • 香川県ミュージアム所蔵「松平大膳家御系譜」