松村修己
松村 修己(まつむら しゅうき[1]、1883年(明治16年)3月26日[2] - 1937年(昭和12年)2月6日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
松村 修己 | |
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生誕 |
1883年3月26日 日本 高知県 |
死没 | 1937年2月6日(53歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1904年 - 1937年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1883年(明治16年)に高知県で生まれた[2]。陸軍士官学校第16期卒業[3]。1928年(昭和3年)8月10日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野砲兵第24連隊長に着任[1]。1931年(昭和6年)8月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に転じ[1]、1932年(昭和7年)8月8日に陸軍野戦砲兵学校教官を経て[1]、12月7日に澎湖島要塞司令官に就任した[1]。
1933年(昭和8年)3月に陸軍少将に進級し[1]、1934年(昭和9年)8月に陸軍砲工学校砲兵科長に就任[3]。1936年(昭和11年)3月7日に下関要塞司令官に転じ[3]、12月1日に陸軍中将に進級[1]。1937年(昭和12年)2月6日に死去[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。