板倉 重直(いたくら しげなお)は、江戸時代旗本。官位は従五位下、筑後守。

 
板倉 重直
時代 江戸時代前期
生誕 元和3年(1617年
死没 貞享元年5月26日1684年7月8日
改名 甚太郎(幼名)→重直
別名 安身(号)
墓所 長圓寺愛知県西尾市
官位 従五位下、筑後守
幕府 江戸幕府 書院番頭、御側
氏族 板倉氏
父母 父:板倉重昌、母:林吉定
兄弟 重矩重直
稲垣重綱
十郎兵衛
養子:重種重寛重行
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島原の乱で戦死した板倉重昌の次男。寛永16年(1639年)6月15日、家督を継承した兄・重矩より山城国綴喜郡三河国額田郡幡豆郡下総国葛飾郡において5000石を分与される。天台宗坂尾山栄福寺(千葉市)の境内にあった栄福寺館は重直の屋敷であった。

万治2年(1659年)7月25日、書院番頭に任じられ、12月28日に従五位下、筑後守に叙任された。寛文元年(1661年)11月9日より御側となる。寛文4年(1664年)6月19日、葛飾郡で3000石を加増され、8000石を領する。延宝4年(1676年)4月10日に職を辞する。天和3年(1683年)12月21日に致仕。貞享元年(1684年)5月26日、68歳で死去した。

兄・重矩の三男重種を養子に迎えたが、重種の長兄の重良が廃嫡され、次男の重澄が早世したため、重種は延宝元年(1673年)に重矩の家督を相続した。次いで、重種の長男の重寛を養子としたが、後に重種の嫡子となった。その後、高木正盛三男の重行を養子とし、家督は重行が継いだ。

参考文献 編集