林 浦海(はやし の うらうみ、生没年不詳)は、奈良時代官人官位従五位下主計助

経歴 編集

桓武朝延暦4年(785年)6月に皇后宮に瑞鳥の赤雀が現れたことを賀して、佐伯今毛人笠名麻呂藤原真作安倍広津麻呂皇后宮職の諸官人が昇叙され、大属の阿閉間人人足とともに、少属の浦海も正六位上から従五位下に叙せられる。同年8月に少属から大属に昇進した。翌延暦5年(786年主計助に遷るが、延暦7年(788年安芸介として地方官に転じた。延暦8年(789年)皇太后・高野新笠、延暦9年(790年)皇后・藤原乙牟漏のそれぞれの喪葬に際して、陵墓造営の役夫に糧食などを支給する養民司を務めている。

官歴 編集

続日本紀』による。

参考文献 編集