桂 一奴(かつら いちやっこ)は落語名跡。江戸・上方、両方で名乗られた。上方は二代続いた名跡だが、現在はどちらも空き名跡となっている。

  • 上方初代桂一奴 - 後∶二代目立花家花橘
  • 上方二代目立花家一奴(1887年 - 没年不詳・昭和初期・中期?)、本名不詳。もとは京都綾小路麸屋町酒屋の若旦那だったが、1918年、周囲の反対にもかかわらず初代の門下となり、立花家一奴を名乗った。
  • 江戸桂一奴 - 本項にて記述。

かつら 一奴いちやっこ
本名 酒井 潔[1]
生年月日 1890年1月11日
没年月日 不詳年
出身地 日本の旗 日本
師匠 三代目古今亭今輔
初代桂小南
六代目春風亭柳橋
八代目桂文治
名跡 1. 古今亭今三郎
(1909年 - ?)
2. 桂南枝
(? - 1921年)
3. 桂一奴
(1921年 - 1922年)
4. 雀家翫語楼
(1922年 - 1925年)
5. 春亭文枝
(1925年 - ?)
6. 桂文明
(? - 1935年)
7. 桂一奴
(1935年 - ?)
活動期間 1909年 - ?
活動内容 落語
幇間
所属 柳連
桂派

桂 一奴(かつら いちやっこ、1890年1月11日 - 昭和20年代半ば没)、本名は酒井 潔[1]

1909年三代目古今亭今輔の門下となり、古今亭今三郎の名で柳連に所属、4月に下谷鈴本亭で初高座。大正半ばころ、初代桂小南の門下となり桂南枝を名乗る。

1921年、桂一奴と改名し、百面相を演じる。まもなく幇間に転じたが、翌年には雀家翫語楼となり、1925年六代目春風亭柳橋の門下で春亭文枝、続いて八代目桂文治の門下で桂文明、1935年には再度、一奴に復名した。

1948年3月まで生存が確認できる。その後の足取りは不明だが、直後に没した模様。

脚注

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  1. ^ a b 神保喜利彦 (2023年1月22日). “東京漫才を彩った人々 桂一奴(百面相”. 東京漫才のすべて. 2023年4月12日閲覧。

参考文献

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  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
  • 『古今東西噺家紳士録』
  • 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)