桂春院

京都市右京区花園にある臨済宗の寺院

桂春院(けいしゅんいん)は、京都市右京区花園にある臨済宗の寺院。臨済宗妙心寺派大本山妙心寺塔頭である。退蔵院大心院とともに通年公開されている妙心寺塔頭の1つである。

桂春院

侘の庭

思惟の庭
所在地 京都府京都市右京区花園寺ノ中町11
位置 北緯35度1分29.47秒 東経135度43分20.76秒 / 北緯35.0248528度 東経135.7224333度 / 35.0248528; 135.7224333
山号 正法山
宗派 臨済宗妙心寺派
寺格 妙心寺塔頭
創建年 慶長3年(1598年
開基 津田秀則
文化財 無明慧性墨蹟(重要文化財)
庭園(名勝、史跡)
方丈、書院、庫裏、表門(京都府指定有形文化財)
法人番号 1130005001153 ウィキデータを編集
桂春院の位置(京都府内)
桂春院
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歴史 編集

慶長3年(1598年)に織田信忠織田信長の長男)の次男・織田秀則(津田秀則)が水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として見性院(けんしょういん)を創建。

秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために桂南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めた。

建造物 編集

方丈(本堂) 編集

京都府指定有形文化財寛永8年(1631年)に建立された単層入母屋造・桟瓦葺の建物で、内部は狩野山楽の弟子である狩野山雪による襖絵で飾られている。このうち「金碧松三日月図」は狩野山雪の筆によるもので、かつては仏壇背後に貼り付けられていたが、襖絵へと改装された。

既白庵(きはくあん) 編集

石河貞政が寛永8年(1631年)に城主を務めていた長浜城から書院ともに移築した茶室。深三畳台目、杮葺、東側を切妻造として出庇をつける。藤村庸軒流の茶室と伝えられる。

なお妙心寺では詩歌・茶道などは修行の妨げになるため厳禁だったが、建物の隅に隠れるように茶室を建て,ひそかに茶を楽しんでいた。

その他 編集

  • 書院(京都府指定有形文化財)
  • 庫裏(京都府指定有形文化財)
  • 表門(京都府指定有形文化財)

庭園 編集

江戸時代の作庭で、江戸時代に小堀遠州の弟子、玉淵坊により作庭された四つの庭園は、修行に入った人が悟りを開くまでを表しており、国の名勝史跡に指定されている。

清浄の庭
方丈北側の枯山水の壺庭で、片隅には紀州の巨岩・奇石が直立した枯滝が配されている。石組みの滝の響き、白砂の渓流の音の表現を眺めて身を清める庭。
侘(わび)の庭
書院から既白庵へと通じる露地庭で、梅軒門と猿戸によって内露地と外露地に分けられ,苔に覆われた蹲踞が隠れるように置かれている。巧みに作られた静寂の侘びの空間で心を整える庭。
思惟(しい)の庭
方丈の東側に広がる庭で、梅軒門より飛石が延び,露地風の趣きある庭園である。方丈の東側の左右の築山に、点在する石を十六羅漢石、中央の礎石を坐禅石にみたてて、さながら深山幽谷、仙境の地の中で坐禅を組み思いに耽る様を表している。
真如(しんにょ)の庭
方丈南側の庭園で、生いしげる楓の樹木を背景に、サツキ・霧島ツツジ・馬酔木などがバランスよく植えられている。地面一面に杉苔の美しい中、小さな庭石をさりげなく七・五・三風に配置して十五夜の満月(悟り)を表現している。

文化財 編集

所在地・アクセス 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集