梅田 千代(うめだ ちよ、1824年10月30日文政7年9月9日〉- 1889年明治22年〉3月14日)は、江戸時代後期(幕末)から明治の日本の女性で、教育者[1]儒学者小浜藩士の梅田雲浜後妻[要出典]

本姓は村島[1]。名は千代子ともいう[要出典]

来歴 編集

大和国高田(現・奈良県大和高田市[要出典]出身[1]

安政2年(1855年)に梅田雲浜と結婚した[1]。雲浜との間には2人の子をもうけた[1]

明治5年(1872年)に京都に開設された女紅場に教員として採用された[1]。当時の同僚に新島八重子がいる[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g "梅田千代". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2024年1月13日閲覧

参考文献 編集

  • 佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年