棟方貞良
棟方 貞良(むなかた さだよし)は、江戸時代中期の弘前藩士。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝3年(1675年) |
死没 | 寛延3年5月10日(1750年6月13日) |
別名 | 作右衛門、八十郎 |
主君 | 津軽信政→信寿→信著→信寧 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 棟方氏 |
父母 | 棟方清久 |
子 | 貞隆 |
略歴
編集宝永6年(1709年)父・棟方清久の死により家督300石を継いだ。享保7年(1722年)に表書院番頭兼用人となった。享保20年(1735年)、500石を加増され、家老800石となる。延享4年(1747年)には200石の加増で1000石の大身となった。同時に紅裏と城中杖も許可された。乳井貢とも親交があった。
寛延2年(1749年)の飢饉に対し、その対策や上席家老としての激務から心身ともに疲れ果て、寿命を縮めたという。剣術にも優れ、塚原卜伝流の中村次太夫から免許皆伝を受けた。さらにそれを小山貞英に伝授した。
参考文献
編集- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社