森川俊徳
森川 俊徳(もりかわ としのり)は、下総生実藩の第11代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保15年(1844年) |
死没 | 文久2年10月24日(1862年12月15日) |
別名 | 禎三郎(幼名)、俊徳 |
戒名 | 玉応院真室静繁 |
墓所 | 千葉県千葉市中央区の重俊院 |
官位 | 従五位下、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総生実藩主 |
氏族 | 石川氏→森川氏 |
父母 | 父:石川総紀、養父:森川俊位 |
兄弟 | 俊徳、石川総脩、石川成之 |
子 | 養子:俊方 |
天保15年(1844年)、伊勢亀山藩の第9代藩主・石川総紀の次男として生まれる。安政5年(1858年)に生実藩の第10代藩主・森川俊位が死去したため、その養子として家督を継いで第11代藩主となり、11月23日に従五位下・出羽守に叙位・任官する。万延元年(1860年)4月2日に日光祭祀奉行に任じられた。
系譜
編集父母
養子