植村嘉三郎
植村 嘉三郎(うえむら よしさぶろう、1883年11月15日[1] - 1958年3月12日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集東京都出身[2]。やまと新聞、国民新聞、中央新聞の各記者となり[2]、昼夜通信社専務取締役社長となる[2]。
1936年の第19回衆議院議員総選挙において兵庫5区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選する[3]。次の1937年の第20回衆議院議員総選挙で落選した[4]。1942年の第21回衆議院議員総選挙では非推薦で立候補したが最下位で落選した[5]。1958年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。