横山政和

日本の江戸時代後期~明治時代後期の武士・金沢藩大参事。加賀藩家老横山政孝の子で、横山蔵人家7代当主

横山 政和(よこやま まさかず、天保5年(1834年) - 明治26年(1893年8月25日) は、加賀藩家老。人持組横山蔵人家第7代。父は横山政孝通称は政次郎、多門、蔵人。号は蘭州。家紋は角ノ内万字。

生涯 編集

天保5年(1834年)、加賀藩家老横山政孝の子として生まれる。天保7年(1836年)、父の死去により家督相続する。嘉永元年(1848年)、父の遺領1万石全ての相続を許される。嘉永6年(1853年)、家老となる。文久3年(1863年)、小松城代を兼ねる。明治元年(1868年)、執政となる。明治2年(1869年)、金沢藩大参事となる。京都紫野にある、先祖・小野篁墓所の傍に石碑(参議小野公塋域碑)を建てた。

明治26年(1893年)8月25日、死去。享年60。墓所は野田山墓地

参考文献 編集

  • 『加能郷土辞彙』