歩兵第40連隊(ほへいだい40れんたい、歩兵第四十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
- 第3大隊がサイパン島への抽出転用の命令が下される
- 3月20日 - サイパン島タナパク港に上陸
- 6月 - アメリカ軍が上陸、激戦の末玉砕する
- 3月 - 本土決戦準備のため、九州へ移動
- 8月15日 - 終戦
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
代 |
氏名 |
在任期間 |
備考
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1 |
梅沢道治 |
1896.9.25 - 1900.3.29 |
中佐、1899.2.大佐
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2 |
鎌田宣正 |
1900.3.29 - |
中佐、1901.11.大佐
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3 |
田中正知 |
1905.2.2 - |
中佐
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4 |
八木下純 |
1906.3.15 - 1911.6.15 |
中佐、1906.12.大佐
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5 |
宮田為之 |
1911.6.15 - 1912.11.27 |
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6 |
橋口勇馬 |
1912.11.30 - 1914.5.11 |
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7 |
岡田重久 |
1914.5.11 - 1915.8.10 |
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8 |
石浦謙二郎 |
1915.8.10 - 1916.11.15 |
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9 |
奥田重栄 |
1916.11.15 - 1921.4.1 |
少将進級[2]
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10 |
中頭新左衛門 |
1921.4.1 - |
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11 |
西尾寿造 |
1925.3.18 - |
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12 |
伊木壮五郎 |
1926.3.2 - |
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13 |
三輪俊雄 |
1928.8.10 - |
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14 |
岡村元 |
1930.8.1 - |
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15 |
篠原誠一郎 |
1933.8.1 - |
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16 |
長野義雄 |
1936.3.23[3] - |
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17 |
西大条胖 |
1938.2.19 - |
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18 |
庄司巽 |
1939.3.9 - |
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19 |
小山義己 |
1941.10.15 - |
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末 |
愛甲立身 |
1943.11.6 - |
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- ^ 「豊岡・城崎は焦土と化す、救援隊続々と到着」『大阪毎日新聞』1925年5月24日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp..239-240 毎日コミュニケーションズ 1994年)
- ^ 『官報』第2598号、大正10年4月2日。
- ^ 『官報』第2765号、昭和11年3月24日。
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』