水鏡天神社

奈良県奈良市にある神社

水鏡天神社 (みずかがみてんじんしゃ)は、奈良県奈良市五条町にある神社。旧社格村社水鏡神社ともいい、付近の中垣内、出垣内、西垣内の氏神である[3]。かつては唐招提寺の鎮守社であった。

水鏡天神社

水鏡天神社
所在地 奈良県奈良市五条町13-29
位置 北緯34度40分31.56秒 東経135度47分12.60秒 / 北緯34.6754333度 東経135.7868333度 / 34.6754333; 135.7868333 (水鏡天神社)座標: 北緯34度40分31.56秒 東経135度47分12.60秒 / 北緯34.6754333度 東経135.7868333度 / 34.6754333; 135.7868333 (水鏡天神社)
主祭神 菅原道真気比大神天照天神春日大神
社格村社[1]
本殿の様式 三間社流造、向拝の柱間一間[2]
例祭 10月9日
地図
水鏡天神社の位置(奈良市内)
水鏡天神社
水鏡天神社
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歴史 編集

『国語本東征伝』によると、鑑真の渡日の際、三千粒の舎利瓶が波にさらわれ海に落ちたことがあった[4][5]。鑑真と弟子が懸命に祈ると、金色の亀が舎利瓶を背に載せてあらわれた[4][5]。喜んだ鑑真が合掌すると、金亀はたちまち老翁となり、「我は輪蓋竜王である。和上が日本に建てる寺の東南の隅に必ず白い石と竜王が現れて、舎利と戒律道場を守護すると約束しよう」と告げたという[4][5]。鑑真が新田部親王の旧宅を賜り唐招提寺を建立すると、はたして東南隅に白石が現れたので、その地に池を掘り龍神の住処とし、律法鎮守の神として崇めたと伝わる[4][5]

明治となり神仏分離で唐招提寺から独立し、後に村社に列せられている。

現在、管理は唐招提寺によって行われている[6]

祭神 編集

境内 編集

  • 本殿 - 春日大社末社、三十八所神社旧本殿を移築したものとの説がある[2]
  • 境内社 - かつて本殿の左に2社あったが現在は1社[6][4]のみとなっている。後述する2社はかつての記録に書かれているものであるが、いずれが残ったかなどは不明である。西宮社:崇道天皇を祀る[6]。若宮社:伊予親王を祀る[6]
  • 井戸 - 菅公の姿写しの井戸という。本殿の右にあり、花崗岩切り石で蓋がある[6]。菅原道真が九州太宰府に配流の際、本地に立ち寄り、本殿右の井戸に姿を写したと伝えられ社名の由来ともなった[6]
  • 中門
  • 拝殿(割拝殿) - 長い割拝殿で楼門造[6]

出典 編集

  1. ^ 奈良県史 神社, p. 29.
  2. ^ a b 奈良県史, p. 912.
  3. ^ a b c 奈良市史, p. 311.
  4. ^ a b c d e 現地案内板
  5. ^ a b c d 徳田明本著『唐招提寺』
  6. ^ a b c d e f g 奈良市史, p. 312.
  7. ^ a b 左右の祭神は明らかではないが、『奈良県風俗志』に拠る

参考文献 編集

  • 現地案内板
  • 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 8 建築』名著出版、1998年。 
  • 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。 
  • 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年。