永嘉郡
概要
編集323年(太寧元年)、臨海郡を分割して永嘉郡が立てられた。永嘉郡は揚州に属し、郡治は永寧県に置かれた。東晋の永嘉郡は永寧・安固・松陽・横陽の4県を管轄した[1]。
南朝宋のとき、永嘉郡は永寧・安固・松陽・楽成・横陽の5県を管轄した[2]。
南朝斉のとき、永嘉郡は永寧・安固・松陽・横陽・楽成の5県を管轄した[3]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、永嘉郡は廃止されて、処州に編入された。592年(開皇12年)、処州は括州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、括州は永嘉郡と改称された。永嘉郡は括蒼・永嘉・松陽・臨海の4県を管轄した[4]。
622年(武徳5年)、唐により永嘉郡永嘉県に東嘉州が置かれた。627年(貞観元年)、東嘉州が廃止され、括州に編入された。675年(上元2年)、括州の永嘉・安固の2県に温州が置かれた。742年(天宝元年)、温州は永嘉郡と改称された。758年(乾元元年)、永嘉郡は温州と改称され、永嘉郡の呼称は姿を消した[5]。