永川 重幸(ながかわ しげゆき、明治34年(1901年1月11日 - 昭和47年(1972年4月23日[1])は日本実業家政治家。元電気商事代表取締役[2]、米子機工専務取締役[2]。元米子市議会議員[2]

永川重幸
ながかわ しげゆき
生年月日 1901年1月11日
没年月日 (1972-04-23) 1972年4月23日(71歳没)
出身校 東京商工学校
前職 中国電力社員

当選回数 3回
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英文学者永川玲二の父。

経歴

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大正9年(1920年東京商工学校電気科卒[3]中国電力(株)米子営業所長に就任[4]、昭和26年(1951年)退職[4]

米子市会議員当選三回[4]、米子市監査委員[4]家庭裁判所調停委員を歴任する[4]

人物像

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趣味油絵[4]囲碁尺八[4]宗教曹洞宗[4]。住所は米子市錦町[4]

家族

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明治39年(1906年)生[4]~没
  • 子供
精一[4]
玲二[4]
祐三[4]

参考文献

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  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 ナ…196-197頁

脚注

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  1. ^ 『鳥取県地労委年報 昭和47年版』(鳥取県地方労働委員会事務局、1973年)p.8
  2. ^ a b c 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 ナ…196頁
  3. ^ 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 ナ…196-197頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 ナ…197頁

外部リンク

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