永石組(ながいしぐみ)は、佐賀県佐賀市に本部を置く暴力団[1]指定暴力団浪川会の二次団体で、佐賀市に本部を置くとともに、武雄市に準本部事務所を設置している。結成の地となった武雄から伊万里佐賀唐津と勢力を拡大してきた組織で、浪川会の中でも有力団体として存在している。[2]

永石組
設立者永石秀三
設立場所佐賀県武雄市
本部佐賀県佐賀市
首領永石秀三
上部団体 九州誠道会(2006年より)
道仁会(2006年まで)

来歴

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永石秀三が武雄市に結成した。

首領の永石は道仁会の副理事長を務めたが、2006年5月、その道仁会の二代目会長・松尾誠次郎が引退し、三代目会長に理事長・大中義久(二代目松尾組組長)を指名したことに対し、副理事長・村神長二郎(三代目村上一家総長)、専務理事・鶴丸善治(鶴丸組組長)、専務理事・高柳弘之(高柳組組長)と共に反発し、道仁会から脱退、抗争に発展した。

6月、脱退した団体で九州誠道会を発足させ、村神長二郎が会長に、永石は副会長に就いた。

2008年3月20日、村神長二郎会長が引退を表明し、同年4月14日、理事長・浪川政浩(四代目村上一家総長)が九州誠道会の二代目会長に就任すると、永石は同会の会長代行に就いた。

歴代組長

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  • 初代 - 永石秀三(道仁会副理事長→九州誠道会副会長→二代目九州誠道会会長代行)

最高幹部

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  • 会長 - 永石秀三
  • 相談役 - 田口耕治(田口組組長、唐津市)
  • 相談役 - 東島悟(東島組組長)
  • 若頭 - 神宮光彦(神宮組組長)
  • 若頭補佐 - 浜本健二(浜健組組長)
  • 幹部組織委員長 - 山口寿次(誠永会会長)
  • 幹部渉外委員長 - 中山英樹(英総業組長)
  • 若中 - 石崎孝彦(二代目本田組組長)

参考文献

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  • 『実話時報』2008年7月号(竹書房

出典

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  1. ^ 『組事務所使用を禁止、地裁佐世保が住民請求認める』 2012年4月17日 読売新聞
  2. ^ 武雄病院射殺事件:県内暴力団21組織リンク有効期限切れ (http://www.saga-s.co.jp/news/saga/takeo_syasatu/takeo_jiken2.0.758498.article.html) 2008年1月13日 佐賀新聞