江古田川
江古田川(えごたがわ)は、東京都練馬区豊玉地域から中野区江古田地域にかけて流れる一級河川。練馬区では、かつて中新井村を流れていたことから中新井川とも呼ばれる。開渠区間2 km弱。
江古田川 | |
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水系 | 一級水系 荒川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 1.64 km |
流域面積 | 5.0 km² |
水源 | 学田公園(練馬区豊玉南三丁目) |
河口・合流先 | 妙正寺川(中野区松が丘二丁目) |
流域 | 東京都 |
行政指定 編集
指定内容は、以下のとおり[1]。
流路 編集
水源は学田公園の溜池で、付近の湧水を合わせて南に流れる[2]。豊玉北6丁目交差点部分から一部千川上水から分水の助水を受ける。練馬区内は暗渠で、中新井川幹線という下水道幹線(※都内の河川の暗渠部分は、開渠当時、下水の垂れ流しが多く悪臭や害虫発生で暗渠とされたが、開渠区間での水質改善の一環として、下水道幹線へ改修させている。東京都下水道局配布資料、テレビ番組『東京sighte』東京の治水。田柄川幹線参照。)として使用されている暗渠区間の一部は中新井川緑道や中新井川児童遊園になっており、練馬すずしろの道の一部を構成している。徳殿公園前信号から下流は練馬区と中野区の境界を流れ、下徳田橋から開渠となる。江古田の森公園北辺から中野区内部に入り、江古田地域を流れた後、松が丘の江古田公園にて妙正寺川に合流する。
平時は幅数十センチの小川(写真の通り三面張りの中央に、U字溝状の水路が設置されている。)だが、降雨時(豪雨時)には、下水のオーバーフロー吐出口からの生下水が多量に流入するので大きく増水し、屎尿等も混入の為に水質も悪化し悪臭が発生している。
自然について 編集
歴史 編集
かつては千川上水からの分水が3つあり[4]、水田の補助水として利用の後、江古田川へ合流していた[2]。
かつての水源は「中新井の池」であったが、江戸時代後期に池の湧き水が枯れたため、近くの千川上水から中新井分水を池に引いた[5]。また中村分水も引水した。1887年(明治20年)に村人が開墾し、ため池を埋立てて水田にし、小作人へ出し、小作料を小学校運営費の一部にあて、学田と称した[3]。1955年(昭和30年)に公園整備した際、公園名称を学田公園とした[3]。
昭和期に徳田橋より上流が暗渠化された。流域で急速な都市化が進んだことから、大雨時に周囲の雨水を集めて溢水するようになったため、1986年(昭和61年)度に、北江古田調整池(中野区江古田三丁目)が建設されている[2]。練馬区内の暗渠区域にも、かつての橋の名前が関東バスの停留所名に残っており、中新井橋、徳田橋、西本村橋、学田橋(中24系統、丸山営業所→学田橋→中村橋駅~南蔵院~←丸山営業所・→中野駅、朝に丸山営業所始発で下り1本づつが、学田橋経由、南蔵院経由、上り2本中野駅行きが、南蔵院経由で運行。練21、22系統、練馬駅~南蔵院循環~練馬駅、練馬駅~江古田の森、練馬駅~丸山営業所が運行されている。)が確認される。
橋梁 編集
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脚注 編集
- ^ 1965年(昭和40年)3月24日、政令第43号「河川法第四条第一項の水系及び一級河川を指定する政令」
- ^ a b c 菅原健二『川の地図辞典』之潮、2007年、ISBN 9784902695045
- ^ a b c 中村・向山庭園コース(お散歩スポット) - 練馬区
- ^ 千川上水(中流編の3 練馬駅付近から江古田駅付近へ) - 練馬区
- ^ 練馬区水辺ふれあい計画改定素案 - 練馬区
外部リンク 編集
- 学田公園西側分水合流点 - 練馬区
- 学田橋 - 練馬区