池原氏(いけはらうじ)は、「池原」をの名とする氏族崇神天皇の子豊城入彦命の後裔とされる皇別氏族で、上毛野氏の支族。

池原氏
氏姓 池原公
池原朝臣
始祖 称・竹葉瀬(多奇波世君)
豊城入彦命五世孫)
出自 上毛野朝臣百済帰化人
氏祖 池原禾守(池原粟守)
種別 諸蕃雑姓(皇別?[1]
本貫 常陸国茨城郡?
後裔 住吉朝臣
凡例 / Category:氏

概要 編集

池原氏は多奇波世君の子孫と称した。氏の名は常陸国茨城郡茨城県石岡市全域と土浦市行方市小美玉市東茨城郡笠間市の各一部)の地名に由来するとも、あるいは上野国摂津国の地名に由来するとも言われ、諸説ある。

上毛野竹葉瀬の子孫である池原禾守(池原粟守)が天平勝宝7歳(755年)に池原公の氏姓を賜与された。さらに延暦10年(791年)4月に池原綱主らは本拠地である摂津国住吉郡にちなんで、住吉朝臣の氏姓を賜与された[2]。ほかに、池原朝臣姓を賜与された一族もいた[3]

脚注 編集

  1. ^ 日本書紀弘仁私記』序には「諸蕃雑姓」に注として、
    「田辺史、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣らの祖、思須美(しすみ)、和徳(わとく)の両人、大鷦鷯天皇(おおさざき-、仁徳天皇)御宇の年、百済国より化来す。しかして言うに、おのれらの祖、これ貴国将軍上野公竹合(たかはせ)なりといえり。天皇、矜憐して彼の族に混ず。しかして、この書に諸蕃人(= 渡来人)というなり。」とありそ、田辺史・上毛野公・池原朝臣・住吉朝臣4氏が百済からの渡来人でありながら、竹葉瀬の後裔を仮冒したことがわかる。
  2. ^ 『続日本紀』延暦10年4月条
  3. ^ 新撰姓氏録』左京皇別下