沖縄の奄美差別

沖縄の奄美差別(おきなわのあまみさべつ)では、アメリカ合衆国による沖縄統治下の沖縄県で行われた奄美群島出身者への差別について解説する。

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概要編集

戦後アメリカは、沖縄県と鹿児島県奄美群島を日本より分割し軍政下に置いた。このため両者の経済は癒着し、本土との流通を閉ざされ経済が疲弊した奄美群島の住民は、経済活動の中心地となった沖縄本島に職を求め移住するということが多くなった。しかし、奄美群島は沖縄県より早い1953年には日本に復帰し、それ以後、沖縄県が返還される1972年までの約20年間にわたり、移住していた6万余人に及ぶ奄美群島出身者は、「在沖奄美人」と称されて様々な社会的制約をうけることとなった。

琉球列島米国民政府琉球政府が行った政策は以下の通りである。

琉球政府行政副主席立法院議長泉有平、琉球銀行総裁池畑嶺里、琉球開発金融公社総裁宝村信雄、琉球電信電話公社総裁屋田甚助、他ほぼ全ての公務員
  • 参政権剥奪
  • 琉球住民」への転籍に対し厳しい条件の導入
  • 引揚時に所持金制限(最高7200円)を課す
  • 公的融資からの締め出し、厳しい債務取立
  • 土地所有権の剥奪
  • 政府税の外国人優遇制度を認めない(奄美群島出身者以外の日本国民には認められた)

他に民間でも、賃貸住宅への入居契約や商取引などの拒否が横行した。

これらの政策は沖縄本島住民が、奄美群島出身者によって職を奪われるとの危機感のもと、琉球列島米国民政府に陳情したことによる。また当時の沖縄タイムスなど在琉マスコミもこれを容認し、さらに奄美群島出身者を敵視する報道を行った。これらは日本本土の国会でも問題となったが、沖縄県がアメリカ統治下のため、それ以上の干渉が出来なかった。沖縄返還により、以上の奄美群島出身者に対する制度的差別は撤廃された。

奄美共産党編集

琉球列島米国民政府琉球政府は以前より、奄美群島は非合法の共産党勢力が支配しているとみなしていた。実際には、奄美共産党が合法的組織奄美社会民主党を立ち上げ奄美群島の本土復帰運動を主導し、住民自体はその復帰目的のために結集していた。琉球列島米国民政府や琉球政府は、奄美群島の復帰を機にその影響を絶とうとし、その中で奄美群島出身沖縄人民党員の逮捕や追放も行われた。これらも奄美群島出身者を公的に排除した理由の一つである。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集