沙門詠(しゃもんえい、生没年不詳)は、百済から日本に帰化した僧。
沙門詠 | |
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生地 | 百済 |
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祖先は、秦の恵文王に繋がり、秦の王族である参(昭襄王の弟)が高陵に封ぜられたことから、高陵君となり、子孫は高陵氏を称した。漢高祖の時、諫議大夫の高陵顕を輩出するが、後漢末期の高穆の時に戦乱を避けて朝鮮半島の楽浪郡に移住した[1][2]。669年、沙門詠が百済から日本に帰化した[3]。
『続日本紀』によると、天智天皇二年(669年)に沙門詠が百済から日本に帰化し、それが高丘比良麻呂の祖父であるとしている。以上から、高丘氏は沙門詠の子孫の一族であるとされる[3]。