波多野伝四郎
日本メソジスト教会の指導的な牧師
波多野 伝四郎(傳四郎)(はたの でんしろう、1866年7月26日(慶応2年6月15日) - 1926年(大正15年)9月23日)は日本メソジスト教会の指導的な牧師である。
上田、金沢、甲府、静岡、東京(鳥居坂教会)のメソジスト教会を巡回した。
1907年(明治40年)の日本メソジスト教会の成立後は、日本メソジスト教会の各個教会自給と大成運動を推進して、指導的な立場にあった。
生涯
編集- 1866年(慶応2年)6月15日 茨城県土浦藩士の父増野惟精と母かねの4男として生まれる[1]。旧姓増野[1][2]。
- 1880年(明治13年)土浦小学校卒業。上京し東京府立第二中学校に入学[1]。
- 1882年(明治15年)弘文学舎に入学[1]。ミス・カートメル(Miss Cartmell)やホイッチング(M.M.Whiting)に聖書を学ぶ[1][3]。
- 1884年(明治17年)4月14日 チャールズ・イビー宣教師より、洗礼を受ける[1][2][3]。
- 1885年(明治18年)東洋英和学校に入学する[1]。
- 1887年(明治20年)イビー宣教師を補佐し、福音士として築地、甲府、中央会堂(現・日本基督教団本郷中央教会)で伝道する[2]。
- 1893年(明治26年)
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)中央会堂に転任[1]。
- 1899年(明治32年)6月 麻布教会(後の鳥居坂教会)に転任し、6代目牧師となる。牛込教会を兼牧[1]。
- 1904年(明治37年)4月 麻布教会から甲府教会に転任し、10代目甲府教会牧師兼山梨部長となる[1][3]。
- 1907年(明治40年)6月 甲府教会から静岡教会に転任、11代目静岡教会牧師兼静岡部長となる[1][2]。
- 1915年(大正4年)4月 静岡教会から中央会堂に転任する[1][2]。駒込教会を兼牧。[1]
- 1926年(大正14年)9月23日 広島県安芸中野駅付近において列車転覆事故(山陽本線特急列車脱線事故)にて召天[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『クリスチャン情報ブック2006』いのちのことば社、2005
- 『静岡教会125年史』日本基督教団静岡教会、2009年7月31日
- 『日本基督教団甲府教会百年史』日本基督教団甲府教会、1979年4月22日
- 中尾栄次郎『静岡縣紳士録』静岡栄一社、1916年7月
- 『鳥居坂教会百年史』日本基督教団鳥居坂教会、1987年11月15日