波照間製糖
波照間製糖株式会社(はてるませいとう)は、沖縄県那覇市に本社を置く製糖会社である。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒900-0031 沖縄県那覇市若狭1丁目14番6号 大糖ビル2階[1] |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 5360001001782 |
事業内容 | 砂糖(黒砂糖)の製造及び販売 |
代表者 | 西村 憲[1][2] |
主要株主 | 大東糖業[3] |
含蜜糖の原料となる、波照間島のサトウキビ畑
概要編集
八重山列島の波照間島(沖縄県八重山郡竹富町字波照間418)にある波照間製糖工場で、含蜜糖(黒糖)の生産を行っている[1]。公称能力 130t/日で[2]、2017/18年期の産糖量は 1,766t[4]。
この工場は竹富町が旧工場の隣接地に建設し、2014年に完成したもので、敷地面積8,970m2、延床面積4,814m2、鉄骨構造2階建て、総事業費約26億円。波照間製糖が指定管理者として操業している[2]。日本最南端の製糖工場である[5]。
波照間島の黒糖は、土壌が原料のサトウキビ栽培に適していることや、ユイマール(共同作業)による手刈り収穫のためトラッシュの混入が少ないことから、風味が良いとされ、市場で高い評価を得ている[6]。
沿革編集
かつての波照間島の主要産業はカツオ漁及び鰹節生産で、農業は自給用の米などの生産が中心であった[7]。1914年(大正3年)頃からサトウキビの栽培や砂糖の製造も行われていたものの、島内4ヶ所の製糖組合により小型工場で15t/日程度を生産する小規模なものであった[8]。戦後、鰹節の価格が低迷したため、鰹節に代わる現金収入源として製糖工場が誘致され、島民と大東糖業株式会社の出資により1961年(昭和36年)に波照間製糖株式会社が設立された。製糖工場の誘致に伴い、自給用の農地はサトウキビ畑に転換され、2004年度(平成16年度)時点で、サトウキビ畑が島の耕地面積の91%を占めるようになった[7]。
年表編集
脚注編集
- ^ a b c d “沖縄県黒砂糖協同組合について”. 沖縄県黒砂糖協同組合. 2018年2月10日閲覧。
- ^ a b c d “波照間製糖工場が完成 18日から操業開始”. 八重山毎日新聞. (2014年1月16日)
- ^ a b 斉藤高宏「沖縄のサトウキビ生産と糖業に関する「覚書」(下)」『農総研季報』第35巻、農林水産省農業総合研究所、1997年9月、25-61頁。
- ^ “生産量は13万4675トン サトウキビ”. 八重山毎日新聞. (2018年5月18日)
- ^ “波照間製糖株式会社”. やえやまなび. 南山舎. 2019年2月10日閲覧。
- ^ 井上荘太朗「沖縄県におけるさとうきび作と製糖業の現状と課題」『農林水産政策研究』第12巻、農林水産政策研究所、2006年、65-84頁。
- ^ a b c 緒方芳明 (2010年3月6日). “波照間島におけるユイマール”. 独立行政法人農畜産業振興機構. 2019年2月10日閲覧。
- ^ 勝田義満 (2010年3月6日). “八重山地域におけるさとうきび生産の現状と課題 (2)”. 独立行政法人農畜産業振興機構. 2019年2月10日閲覧。
- ^ “新波照間製糖建設に着手 地鎮祭で工事の安全祈願”. 八重山毎日新聞. (2018年5月18日)
- ^ “波照間製糖工場が落成 きょう18日から操業”. 沖縄タイムス+プラス. (2014年1月18日)
- ^ “黒糖に金属片混入 波照間製糖が全量回収へ”. 琉球新報. (2014年7月19日)