洞雲寺 (岐阜県白川町)

岐阜県白川町にある寺院

洞雲寺(とううんじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある曹洞宗の寺院。山号は大龍山。中部四十九薬師霊場第四十六番札所。

洞雲寺どううんじ
洞雲寺 (岐阜県白川町)
洞雲寺 (岐阜県白川町)
所在地 岐阜県加茂郡白川町和泉1166
位置 北緯35度35分14.2秒 東経137度11分57.7秒 / 北緯35.587278度 東経137.199361度 / 35.587278; 137.199361座標: 北緯35度35分14.2秒 東経137度11分57.7秒 / 北緯35.587278度 東経137.199361度 / 35.587278; 137.199361
山号 大龍山
宗旨 曹洞宗
本尊 聖観音菩薩
創建年 慶長9年(1604年
開山 傳室梵的
札所等 中部四十九薬師霊場第四十六番
法人番号 8200005006618
洞雲寺の位置(岐阜県内)
洞雲寺
洞雲寺
洞雲寺 (岐阜県)
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歴史 編集

この寺の始まりは、嘉吉3年(1443年)、足利義勝が寄進した土地に、劫庵寂永が田代谷に沿って登り、

康正元年(1455年)5月8日、擂鉢状に開けた 和泉 字 外山 に草庵を結んで開基したのが始まりと伝わる。

由緒書によると、 劫庵寂永は、静寂なこの地を好み、参禅などの修行を続けていたところ、近在の老婆が仏法の精神を願い、末永く居てほしいとの願いから飲食などの世話を続けた。そのため、劫庵寂永は、文明18年(1486年)9月28日に寂するまで、草庵に住した。

慶長9年(1604年)、土岐郡日吉村平岩の開元院の十世の傳室梵的によって草庵に堂宇を創建し、洞雲寺と号した。そのため、開元院の末寺であり、傳室梵的が開山となっている。

慶長11年(1606年)、田代山寺村は穀物不足のため年貢が上納できなくなり、百姓が全員逃散するという危機があったが乗り越えた。

傳室梵的は、さらに黒川村に向陽山 正法寺を開基し、坂ノ東村に石城山 廣通寺を開基して末寺とした。

また洞雲寺の二世の善中春良は、大利村に萬嶽山 臨川寺と、恵那郡加子母村に萬燈山 法禅寺を開基した。

黒川村の向陽山 正法寺は苗木藩領であったため、明治3年の苗木藩の廃仏毀釈によって廃寺とされた。

当時の正法寺の住職であった鳳仙が、加子母村の法禅寺を通じて廃寺となった顛末を洞雲寺に報告しているが、副住職の全勇から洞雲寺への報告内容には、前住職の鳳仙とは縁を切り還俗して帰農したと報告している。その一方で正法寺の開山の傳室梵的の木造を、密かに洞雲寺に避難させて、廃仏毀釈が終焉すると、正法寺の跡地に開山堂を建てて傳室梵的の木造を戻して安置している。

江戸時代になると寺請制度により檀徒は、田代山寺・水戸野・和泉・小原・名倉・鷲原・葛牧・野原・若松・広野・宇都尾・油井の12箇村に及んでいたが、名倉・若松・広野・宇都尾・油井の5箇村は苗木藩領であったため、明治3年(1870年)に苗木藩の廃仏毀釈によって神道への改宗を強制されて檀徒から離れた。

昭和33年(1958年)4月に創建の地を離れ、白川沿いの現在の地に移転して全面改築した。

参考文献 編集

  • 『白川町誌』 第五章 宗教 第三編 生活と文化 二 元西白川村 ▽大竜山洞雲寺 p861~p866 白川町誌編纂委員会 1968年
  • 『美濃国加茂郡誌』 第七章 宗教 第二節 寺院 【西白川洞雲寺】 p789~p790 岐阜県加茂郡役所 大正10年
  • 『岐阜県百寺』 洞雲寺 p153 郷土出版社 1987年

脚注 編集