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浅野 長賢(あさの ながかた)は、江戸時代前期の旗本寄合赤穂藩浅野家の分家。通称は兵部、内記。

 
浅野長賢
時代 江戸時代前期
生誕 寛永11年(1634年
死没 貞享4年5月5日1687年6月14日
幕府 江戸幕府 旗本寄合
主君 徳川家綱綱吉
氏族 竹谷松平家浅野氏
父母 父:松平清昌、養父:浅野長直
兄弟 松平清雄松平清勝松平清直
松平清吉長賢
養兄弟:長友長恒
浅野長武
養子:長武

生涯編集

交代寄合松平清昌の末男として誕生した。おばの婚家である浅野家の従兄の赤穂藩主浅野長直の養子に入るが、実子長友の誕生により部屋住みに落とされた。

承応元年7月26日1652年8月29日)には、4代将軍・徳川家綱に初御目見する。寛文11年3月5日1671年4月14日)、長友から3500石を分与されたため、旗本の寄合に列した。貞享3年12月6日1687年1月19日)の隠居により、その家督は婿養子の長武(赤穂浅野家家臣大石良重の子、母が浅野長直の娘)に譲った。

貞享4年(1687年)死去。享年54。