浪岡 顕忠(なみおか あきただ)は、戦国時代から安土桃山時代武将

 
浪岡 顕忠
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天正6年(1578年
別名 左衛門
主君 浪岡氏
氏族 浪岡氏
父母 父:浪岡顕範
兄弟 沼山勘解由室、北畠顕村
慶好顕則顕佐
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略歴 編集

陸奥の名族・浪岡氏浪岡顕範の嫡男として生まれる。

永禄5年(1562年)、大叔父の川原御所・北畠具信が、叔父の宗家・浪岡氏当主である浪岡具運を殺害すると(川原御所の乱)、同年4月5日(1月3日とも)に父・顕範と共に川原館の具信らを攻め滅ぼした。そして、父と共に具運の子・顕村を後見した。

天正6年(1578年)、病死。

参考文献 編集

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社