清白寺

山梨県山梨市にある寺院

清白寺(せいはくじ)は、山梨県山梨市にある寺院。宗派は臨済宗妙心寺[1]、山号は海涌山(かいゆうざん)、本尊は釈迦如来である[1]

清白寺

仏殿(国宝)
所在地 山梨県山梨市三ケ所620
位置 北緯35度41分38.4秒 東経138度42分29.6秒 / 北緯35.694000度 東経138.708222度 / 35.694000; 138.708222座標: 北緯35度41分38.4秒 東経138度42分29.6秒 / 北緯35.694000度 東経138.708222度 / 35.694000; 138.708222
山号 海涌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 正慶2年(1333年
開基 足利尊氏
正式名 海涌山 清白禅寺
札所等 甲斐百八霊場14番
文化財 仏殿(国宝)
庫裏(重要文化財)
法人番号 3090005003631 ウィキデータを編集
清白寺の位置(山梨県内)
清白寺
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夢窓疎石が開山し、足利尊氏が開基したと伝わる[2]。古来「の清白寺」として知られ、夢窓疎石が植えたとされる「西湖梅」があり、参道の両側の紅白梅などで知られる[2]

なお、清白寺は中世の土豪屋敷とみられる連方屋敷跡とともに三ケ所遺跡内にある[2]

歴史

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甲斐国では元徳2年(1330年)に夢窓疎石により開創された恵林寺長禅寺(古長禅寺)をはじめ夢窓派による禅宗寺院が創建されているが、清白寺は正慶2年(1333年)あるいは観応2年(1351年)の創建とされる[1]。『甲斐国志』によれば開基は足利尊氏で、国家安泰戦勝祈願所として創立し、二世住職で夢窓疎石の高弟清渓通徹により開創され、清渓が師の夢窓を開山と位置づけている。また、貞和5年(1349年)に浄居寺住職の友山が当寺を訪れた際に詠んだ漢詩や絶海中津の漢詩からも夢窓との関係が窺える。嘉慶元年(1387年)には鎌倉円覚寺勧進に奉加している。

室町時代には関東夢窓派の中心寺院となった鎌倉建長寺末だったが、江戸時代初期ごろに妙心寺末となった。

仏殿を残して一度焼失したが、寛永年間に諸堂が再建された[1]。しかし、天和2年(1682年)の火災で仏殿を除きほとんどの堂宇が焼失したため、貞享年間から再建工事が開始され、享保16年(1731年)の惣門完成をもって寺観が完成した[1]

伽藍

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惣門―放生池三門(鐘楼門)―仏殿本堂が一直線に並ぶ、禅宗形式に沿った配置となっている。

文化財

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庫裏
 
山門
 
仏殿(南西角より)
仏殿
国宝。身舎(もや)組物の墨書銘によれば応永22年(1415年)の建立[1]入母屋造檜皮葺小形の方三間裳階(もこし)付形式で典型的な禅宗様式を取り入れている[1]。県内では東光寺最恩寺に中世禅宗様の仏殿が残り、いずれも関東禅宗様式に属する。
庫裏
国の重要文化財元禄2~6年(1689年1693年)に再建されたと考えられる[1]。江戸時代中期の禅宗寺院庫裏として貴重である。

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 櫛原, 功一、山岸, 常人、高橋, 敦『三ケ所遺跡』 15巻山梨県笛吹市石和町四日市場1566〈山梨市文化財調査報告書〉、2012年3月8日(原著2012年3月8日)。doi:10.24484/sitereports.7213NCID BB06197394https://sitereports.nabunken.go.jp/7213 
  2. ^ a b c 秩父裏街道と夢窓疎石の足跡を辿る道(山梨県)2023年10月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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