渋沢信一
日本の外交官
渋沢 信一(しぶさわ しんいち、1898年10月11日 - 1983年7月15日)は、日本の外交官。外務事務次官。
しぶさわ しんいち 渋沢 信一 | |
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生誕 | 1898年10月11日 |
死没 | 1983年7月15日 |
国籍 | 日本 |
配偶者 | 加藤穏子 |
子供 |
渋沢寿夫 渋沢紀子 |
親 |
父:渋沢成一郎(喜作) 母:渋沢ヨシ[1] |
来歴・人物
編集埼玉県の実業家・渋沢喜作の息子[2][3]。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1922年3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年、外務省に入省した。1930年、国際連盟事務局勤務となる。その後は、外務省アメリカ局第2課長(1938年)を経て1941年12月から駐中華民国総領事兼南京一等書記官を務めた。
1942年、外務省通商局長(最後の通商局長→戦後通商産業省へ統合)。1943年、通商局が改組されて戦時経済局長となる[4][5]。1945年6月には、条約局長に就任し、迫水久常内閣書記官長、東郷茂徳外相、松本俊一外務次官らと終戦工作を練る。1945年9月、大使館参事官に。1946年3月免本官。1952年5月、復帰して事務次官に就任。以後、駐スペイン大使、駐タイ大使など歴任。1959年から1961年まで外務省研修所長。以後、海外技術協力事業団理事長。
家族・親族
編集- 渋沢家
脚注
編集- ^ “[https://keibatsugaku.com/shibusawa-2/ 閨閥学 -偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢喜作・渋沢信一の家系図・子孫)]”. 2022年12月29日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第15版 上』シ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月8日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月8日閲覧。
- ^ 戦時経済局 国立公文書館
- ^ 澁澤信一しぶさわしんいち国立公文書館
- ^ “[https://keibatsugaku.com/shibusawa-2/ 閨閥学 -偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢喜作・渋沢信一の家系図・子孫)]”. 2022年12月29日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
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