渡辺詠帰

江戸時代後期の儒学者

渡辺 詠帰(わたなべ えいき、文化8年(1811年[1] - 明治10年(1877年)2月[2])は、江戸時代後期の儒学者朱子学派)、教育者。名は方。(あざな)は士蔀。通称は豊吉・小右衛門。詠帰はその福岡藩藩儒[1]

経歴 編集

本姓は小田氏。福岡藩江戸藩邸詰の福岡藩士渡辺小助の養嫡子となる。博学多識をもって聞こえ、詩及び書をも善くした[1]

文政10年(1827年)江戸藩邸学問所の教官となって教え、安政2年(1855年)その学識を買われ藩主の侍読となった。元治元年(1864年)本藩福岡に移り同じ職に従事した[1]

維新後明治3年(1870年)藩校修猷館の副督学(総受持助)となって学制の革新に当たり、同4年(1871年)廃藩に及んだ[1]

出典 編集

  1. ^ a b c d e 笠井助治『近世藩校に於ける学統学派の研究 下』(吉川弘文館、1970年)1565頁
  2. ^ 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)76頁