渡辺豊綱

日本の江戸時代中期の武士。紀州藩年寄渡辺恭綱の子で、渡辺主水家2代当主。従五位下周防守

渡辺 豊綱(わたなべ とよつな)は、江戸時代中期の紀州藩士。渡辺主水家2代当主。

 
渡辺豊綱
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年(1693年
死没 享保15年2月2日1730年3月20日
改名 松之助(幼名)→豊綱
別名 通称:数馬
官位 従五位下周防守
主君 徳川吉宗宗直
紀州藩
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺恭綱
兄弟 豊綱則綱有馬氏久戸田清勝室、
中川忠和室、山高信房室、宮地周武
親綱
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略歴 編集

元禄6年(1693年)、渡辺恭綱の子として誕生した。

正徳4年(1714年)父の隠居により家督と知行2000石を相続し、年寄列に加えられる。享保2年(1717年)、紀州藩6代藩主・徳川宗直より、年々金300両を拝領する。同年京への使者を務め、500両を拝領する。享保4年(1719年)月番加判を命じられる。享保11年(1726年)、従五位下・周防守に叙任し、1000石の加増を受ける。

享保15年(1730年)2月2日死去。享年38。嫡男・松之助(親綱)は幼かったため、家督は弟の則綱が相続し、松之助はその養子となる。

出典 編集

  • 「南紀徳川史」