瀬尾 栄太郎(せのお えいたろう、1881年(明治14年)9月[1] - 没年不詳)は、ロシアで活動した日本人実業家である。

経歴 編集

徳島県阿波郡柿原村[1]柿島村板野郡吉野町を経て現阿波市吉野町柿原)出身。日露戦争に従軍した[1]奉天の会社「松茂洋行」の支配人となり、ロシア内の鉄道線路南方[どこ?]で鉱物の試掘許可を受けて、試掘して成功し、本採掘を出願している[2]が、ロシア革命が起きると白軍であるグリゴリー・セミョーノフ軍の顧問となった[要検証][3]。1926年、国際探訪通信社を立ち上げ[4]、日本の機密費を受けて中国・ロシアの一般情報収集を行う[5]。 1932年には、国体擁護連合会の常務実行委員となっている[6]1936年、二・二六事件の関係者となる[要検証][7]

談話 編集

出典 編集

  1. ^ a b c 『新日本人物大系 下巻』202頁。
  2. ^ 極東露領鉱産物 神戸新聞 1917年12月28日
  3. ^ 『東亜先覚志士記伝』 黒龍会出版部 1933年〜1936年
  4. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040806000、本邦通信機関及通信員関係雑纂/通信機関ノ部(1-3-1-39_1_001)(外務省外交史料館)」 35.国際探訪通信社
  5. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01003869100、昭和04年「密大日記」第3冊(防衛省防衛研究所)」 機密費使用に関する件
  6. ^ 協調会編昭和八年版労働年鑑 協調会 1933年12月23日
  7. ^ 『二・二六事件-研究資料』 松本清張, 藤井康栄 1993年
  8. ^ 『朝日新聞記事総覧〔大正編〕1』 日本図書センター 1985

参考文献 編集

  • 『新日本人物大系 下巻』東方経済学会、1936年。