高橋 守衛(守衞、たかはし もりえ、1857年安政4年5月[1][2]) - 1906年明治39年)3月31日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴 編集

出雲国神門郡稗原村(のち島根県簸川郡稗原村、現・出雲市)生まれ[1]漢学を学ぶ。稗原村長、同村会議員となる[2]。また、簸川銀行を創立し、取締役となった[2]

1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選する[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが落選した[4]。衆議院議員は1期務め、1906年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、172頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』382頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。

参考文献 編集

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。