霍嬗(かく せん)は、中国の前漢時代の人物である。生年不明、紀元前110年死。字は子侯[1][2]武帝に仕えたが若くして死んだ。奉車都尉冠軍侯哀侯)。

父は匈奴との戦いで大功を立てた霍去病元狩6年(紀元前117年)に父が死んだあと、元鼎元年(紀元前116年)に後を継いで冠軍侯となった[1][2][3][4]。まだ若かったが、武帝に目をかけられ、奉車都尉に任じられた[1][2]。武帝はゆくゆくは霍嬗を将軍にしようと考えていた[1][2]

6年後の元封元年(紀元前110年)、武帝が泰山封禅を行ったとき、随従して、死んだ[1][2]。哀侯と謚された[1][2][3][4]。子がなく、冠軍侯は廃された[1][2][3][4]。6年後の元封元年に死んだとするのは『史記』で、『漢書』の「外戚恩沢侯表」は侯になってから7年で死んだと記す[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『史記』巻111、衛将軍驃騎列伝第51。ちくま学芸文庫『史記』7の273頁。
  2. ^ a b c d e f g 『漢書』巻55、衛青霍去病伝第25。ちくま学芸文庫『漢書』5の267頁。
  3. ^ a b c 『史記』巻20、建元以来侯者年表第8、冠軍。
  4. ^ a b c d 『漢書』巻18、外戚恩沢侯表第6、冠軍景桓侯霍去病。

参考文献

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外部リンク

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