諫早 清直(いさはや きよなお)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士肥前国佐賀藩士、後に長州藩士。

 
諫早清直
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 慶長17年5月5日1612年6月4日
改名 諫早茂泰、諫早清直、鷹屋入壷、鷹屋入古
別名 孫七郎、七郎左衛門(通称
主君 龍造寺政家高房毛利秀就
肥前佐賀藩長州藩
氏族 龍造寺氏諫早鍋島家)、鷹屋氏
父母 龍造寺家晴
兄弟 清直直孝
鷹屋清信鷹屋清晴鷹屋清次
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生涯

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龍造寺四家の一つである諫早鍋島家諫早氏)の初代当主・龍造寺家晴の子として誕生。

父・家晴と仲違いしたため家督を相続できず、肥前国武雄で剃髪して「鷹屋入壷[1]と改名した。なお、諫早氏の家督は弟・直孝が相続する。

その後は毛利秀就に仕え、慶長17年(1612年5月5日に死去。長男・清信が後を継ぎ、子孫は長州藩士として存続する。

脚注

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  1. ^ 後に「鷹屋入古」と表記を改める。

参考文献

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