孫 俊(そん しゅん、? - 266年)は、中国三国時代の皇族。父は孫和。母は張妃。兄は孫晧孫徳孫謙。同母姉妹は陸景妻。なお、同名の人物に孫河の四男の孫俊がいる。

生涯

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孫和の四男にあたるが、正妻だった張妃の嫡男として生まれた[1]。幼いときに両親に先立たれ、兄たちと一緒に父の側室であった何姫に育てられた。永安元年(258年)10月、孫休が即位すると、孫俊は騎都尉に任ぜられた[2]

孫俊は聡明で物事の道理に通じていたため、国中での評判が高かったものの、宝鼎元年(266年)10月、兄の孫謙が呉興郡施但の反乱に加担した罪で自害させられた後、長兄の孫晧によって殺害された[3]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 呉歴
  2. ^ 三国志』呉志 孫和
  3. ^ 『呉歴』