王審知

中国五代十国時代・閩の初代王

王 審知(おう しんち)は、十国の初代の王。

太祖 王審知
初代王
王審知像
王朝
在位期間 開平3年4月5日 - 同光3年12月12日
909年4月27日 - 925年12月30日
都城 長楽府(福州
姓・諱 王審知
信通
詳卿
諡号 忠懿王
昭武孝皇帝(恵宗による)
廟号 太祖(恵宗による)
生年 咸通3年(862年
没年 同光3年12月12日
925年12月30日
王恁
后妃 任内明
陵墓 宣陵

生涯

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光州固始県(現在の河南省信陽市固始県)の出身。中和5年(885年)、兄の王潮王審邽と共に寿州の首領であった王緒に従い福建に転戦していた。しかし王緒の猜疑心が強かったことから対立が生じ、王潮が政変を起こし王緒を捕らえた。その後王潮は勢力を拡大し、景福2年(893年)に福州を攻撃、現在の福建省全域を勢力下に置くことに成功し、王審知は福建観察副使に任じられた。乾寧4年12月6日898年1月2日)に王潮が死去すると王審知は威武軍節度使を継承し、後に唐より瑯琊王に封じられ、開平3年(909年)には閩王に封じられた。王審知は窮民出身であったため、政策は倹約を強め税や徭役負担を軽くすることで民力の休養に勤めた。

同光3年(925年)に薨去し、忠懿王と諡号を贈られた。王位は長男の王延翰が継承した。王延鈞が皇帝に即位すると昭武孝皇帝と追諡され、廟号は太祖とされた。

家族

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妻妾

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  • 正室:任内明(皇后を追贈された)
  • 側室:黄恵姑

男子

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女子

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  • 王氏(李敏にとついだ)
  • 瑯琊郡君(呉越の武粛王銭鏐の子の銭元珦にとついだ)

参考文献

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