折田先生像

かつて日本の京都大学にあった、教育者・折田彦市の銅像、あるいはそれを模したオブジェやパロディ作品

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折田先生像(おりたせんせいぞう)は、京都大学に設置されていた銅像である。京都大学の前身の一つである第三高等学校の初代校長を務めた折田彦市(おりた ひこいち)の業績を讃えるために製作された。しかしその後、派手な落書き(オブジェ化)が相続き、有名になった。

ファイル:Kyoto university orita2005.jpg
折田先生像(2005年)スッパマンバージョン

遅くとも1990年には顔を赤くスプレーされ、台座に「怒る人」と落書きされた(その後の姿に比べれば比較的シンプルな)バージョンが存在しており、近所の住民にも「京大の『怒る人』」として親しまれていた。これは比較的長い期間放置されていたが、その後、何者かが赤い顔を青に塗り替え、台座に「怒らないで」と上書きした。これを機に、一連の落書きの連鎖が始まることになる。

最初のいくつかのバージョンの製作には、大学内のある音楽サークルとあるアウトドアサークルとが関与していたことが分かっている。製作者の一人に取材したところによれば、「『怒る人』は面白かったので、怒らないで、への書き換えは少々残念に思えた。元の怒る人に戻すことも考えたが、それも面白くないので、怒る人に匹敵する新しい姿を追求しようと考えた」というのが動機だそうである。

「怒らないで」の次に、最初に彼らが行った落書きは「能の隈取」の意匠であった。これはすぐさま大学側によって消された。その後、合成樹脂による両手をとりつけた「れーにん」、巨大な被せ物による「モアイ」など、初期の何種かのバージョンが同じ製作者グループによって製作された。彼らは「モアイ」を最後に撤退し、特に他の製作者グループとの接触や引継ぎはなかったとのことであるが、その後も折田先生像への落書きは一種の文化のように継承され、回を追うごとにエスカレートしていき、銅像アートと呼ぶにふさわしいさまざまな作品を残すことになる。

  • 赤と黄色に彩られ、頭にカップを乗せたヤキソバンバージョン
  • 肩に自転車を掛け、「私も入ってます!!」と張り紙のされたサイクリング部勧誘バージョン
  • 全体にダンボールによって作られたモアイ像を被されたモアイバージョン
  • 大学側の「像を汚さないで下さい」という立看板に対抗して「この像を汚さないで」と落書きされたバージョンなど。

こうした落書きを受けて、1997年3月、折田先生像は撤去される。

しかしすぐに『北斗の拳』のラオウを模した漢の生き様バージョンが台座ごと新たに作成され、その他にも力石徹バージョン勇者王ガオガイガーバージョン、「お父様、お母様、今まで育ててくれてありがとう。今日、私・・お嫁に行きます」と張り紙のされた花嫁バージョン、女性用下着を顔につけ、「フォオオオ」と書き込まれた変態仮面バージョンなど、さまざまなバージョンの落書きが施された。

その後、場所を総合人間学部図書館前に移し、王蟲を連れた風の谷のナウシカバージョン、M16のモデルガンを構えたゴルゴ13バージョンなどが製作された。

それも2003年7月頃に撤去されていたが、2004年2月の入試期間前後にひょっこりひょうたん島サンデー先生バージョンが作られ、復活した。そして、同年7月には再び撤去された。しかし2005年2月下旬には場所を吉田南構内正門付近に移し、新たにDr.スランプのキャラクターを模したスッパマンバージョンが出現した。

なお、この一連の騒動は週刊誌などで報道された。

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