伊達 宗倫(だて むねのり、1640年 ~ 1670年)は江戸時代の伊達氏の一族。登米伊達氏当主。
1665年安芸家の伊達宗重と領土争いを起こした。兵部家の伊達宗勝の裁きにより宗倫に有利な条件で採決が下されたが、これを恨みに思った宗重は幕府方へ訴えるために江戸に向かう。大老酒井忠清の屋敷で伊達騒動が起き、宗重は兵部派の原田宗輔に殺害された。