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山形県米沢市広幡町成島地区にある神社
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成島八幡神社(なるしまはちまんじんじゃ)は山形県米沢市広幡町成島地区にある神社。

概要

蝦夷討伐のためこの地に下ってきた大伴駿河麿によって宝亀8年(777年)に建立されたといわれている。平安時代には、成島荘の鎮守として崇拝された。その後、同社に納められた棟札によれば、正安2年(1300年)に長井荘(置賜地方)の地頭・長井宗秀によって宝殿などが修理された。その後、永徳3年(1383年)に伊達宗遠によって拝殿が造営され、これが現在残っている拝殿である。また、現在の本殿は承応3年(1654年)に米沢藩主・上杉綱勝によって造営されたものである。当神社は歴代の領主に手厚く保護されてきたが、特に伊達氏の崇拝は厚く、伊達政宗が仙台に拠点を遷した際は、城下に建立した大崎八幡宮に成島八幡神社も分霊した。ちなみに政宗の重臣・片倉景綱は成島八幡神社の神官の子である。

宝物

社殿造営の棟札46枚のほか、木造門神坐像2体や舞楽面などが伝わっている。また、山形県川西町の成宝寺に伝わる僧形八幡神像も元々は成島八幡神社の宝物であるという。木造門神坐像2体及び僧形八幡神像は平安時代後期の作と考えられている。

アクセス

JR米坂線成島駅より南へ約1km

関連項目

  • 坂上田村麻呂-最初に社殿を造営したという伝説がある。
  • 源義家-永保元年(1081年)に社領を寄進した。